こんばんは。
わっち
結論から言うと"けいおん!"は面白くありませんでした。題材がよくなかったのかもしません。あ〜あ。
わっち
結論から言うと"けいおん!"は面白くありませんでした。題材がよくなかったのかもしません。あ〜あ。
こんばんは。
記事書かないのもなんなので
介助・介護を要する障害者の提示する「権利の要求」的なことにはよくよく引っかかることがあって、(たとえば、"普通である権利"やら"危険を侵す権利"やら"間違える権利"やら"考えを変える権利"やら…)、要はそれは、"本来権利がどうとかいう問題じゃない"事柄に関して白黒をつけなければならない事情によると思う。"権利として認められてないこと"をすることが出来ない、ということは障害者の障害のひとつであって、要は"健常者"とは文面上の権利や義務で認められていないこともすることが出来る人、のことなんだなと思う。人はわりかし、厳密でないグレーの中で、怠けたり努力したりして、それが意外と大事だったりするもんなのかもしれない。しかし車椅子に乗っていると話はそう簡単にいかず、"楽をする"のも"間違える"ことも"危険を冒す"ことも、みんな介助者の許可がいる。そういう"愚かになれない"環境、"カオスを許容しない"状況、というのは、まァ、本来の姿といえばそうなのかもしれない。そんなことを思う大学生。レポートは書きません。
記事書かないのもなんなので
介助・介護を要する障害者の提示する「権利の要求」的なことにはよくよく引っかかることがあって、(たとえば、"普通である権利"やら"危険を侵す権利"やら"間違える権利"やら"考えを変える権利"やら…)、要はそれは、"本来権利がどうとかいう問題じゃない"事柄に関して白黒をつけなければならない事情によると思う。"権利として認められてないこと"をすることが出来ない、ということは障害者の障害のひとつであって、要は"健常者"とは文面上の権利や義務で認められていないこともすることが出来る人、のことなんだなと思う。人はわりかし、厳密でないグレーの中で、怠けたり努力したりして、それが意外と大事だったりするもんなのかもしれない。しかし車椅子に乗っていると話はそう簡単にいかず、"楽をする"のも"間違える"ことも"危険を冒す"ことも、みんな介助者の許可がいる。そういう"愚かになれない"環境、"カオスを許容しない"状況、というのは、まァ、本来の姿といえばそうなのかもしれない。そんなことを思う大学生。レポートは書きません。
こんばんは。
痩せ我慢上等、な〜んちゃって♪
この春以来、ぼくにしては割とさまざまな人々とさまざまな関係が築かれているが、一貫して言えることはやはり「自己を崩してはならない」「個を崩してはならない」ということである。「個」というのは"己の自我のいたすところ"という印象がなくはないが、近頃はそれとは全く別に"他者への誠意"という側面のあるのではとようやく考えるようになったような気がせんでもない(弱気である)。これは、個を顕示するということではなく、自己の内面を構築しかつ其れが外部に漏洩しないようにする事、つまり、己の身一つで世界に対峙する、ということである(逆に、自分の責任者は自分であることを明示せず、惰性と寄り集まりの煙に自己を巻きながら人間に対するのは、無礼の一種であると考える)。そしてこれは"孤立するか否か"ということには無関係である(どうやら、孤立すれば個が確立されると思ったら大間違いのようである)。さわやかな孤独。逃げも隠れもせず、己を俯瞰するように離脱する。(アスリートが孤独である、というのと話は近いのかもしれない) …それでも、ぼくの弱い心は、少し目を離すと、日々の憂鬱の癒しを、帰属や孤立に見出そうとするけれど(この正反対の二つは同じ母を持つ双生児のようでもある)、その罪はつもりつのり巡り巡って世界を破壊するのである。"個"を維持しつつ"他"と対峙する、そんなぼくにとってはちょっと大道芸じみた芸当が求められている。え? これ、普通? やっべー。
こういうときに、人は神に思いを馳せるのかな?
痩せ我慢上等、な〜んちゃって♪
この春以来、ぼくにしては割とさまざまな人々とさまざまな関係が築かれているが、一貫して言えることはやはり「自己を崩してはならない」「個を崩してはならない」ということである。「個」というのは"己の自我のいたすところ"という印象がなくはないが、近頃はそれとは全く別に"他者への誠意"という側面のあるのではとようやく考えるようになったような気がせんでもない(弱気である)。これは、個を顕示するということではなく、自己の内面を構築しかつ其れが外部に漏洩しないようにする事、つまり、己の身一つで世界に対峙する、ということである(逆に、自分の責任者は自分であることを明示せず、惰性と寄り集まりの煙に自己を巻きながら人間に対するのは、無礼の一種であると考える)。そしてこれは"孤立するか否か"ということには無関係である(どうやら、孤立すれば個が確立されると思ったら大間違いのようである)。さわやかな孤独。逃げも隠れもせず、己を俯瞰するように離脱する。(アスリートが孤独である、というのと話は近いのかもしれない) …それでも、ぼくの弱い心は、少し目を離すと、日々の憂鬱の癒しを、帰属や孤立に見出そうとするけれど(この正反対の二つは同じ母を持つ双生児のようでもある)、その罪はつもりつのり巡り巡って世界を破壊するのである。"個"を維持しつつ"他"と対峙する、そんなぼくにとってはちょっと大道芸じみた芸当が求められている。え? これ、普通? やっべー。
こういうときに、人は神に思いを馳せるのかな?
こんばんは。
問答無用
移動介助アルバイトのクライエントは小型電動車椅子を操る肢体不自由者であり、バリアフリーの行き届いた範囲ならば移動に介助など必要としない。その中で、ぼくに割り振られた仕事とは、旧館A1棟という、数少ないエレベータ未導入校舎に於ける階段上げ下ろしである。クライエントのその校舎への用件は当然授業なので、シフトの時間は一週間の中で一定であり、それが今回は火曜2コマ。ぼくは偶々、その前の火曜1コマにその彼女と同じ授業を受講しているので(クライエントは同学科同回の女性である)、授業前の階段"上げ"に関しては、1コマ終了とともに彼女にそのままついていけば、自然と仕事は完了する。しかし、その上げた先の2コマ目が、私は空きコマで、階段"下ろし"の作業のためにはまた時間を見極め改めて戻ってこなければならない。そして、ご想像のとおり、今日そこに失敗したのである。2コマ終り、ぼくは時間に遅れはしなかったが、ぼくがA1棟の扉をくぐった時には彼女は既に階段の下にいた。授業が予定より早くに終わってしまっていたのだ。考えられたことではあった。彼女が無事に階段下に降りれていたのは、彼女の周りにいつも大名行列のように連なっている同学科の友人たちによる幸いであった。彼女たちは、ぼくと違って、2コマの授業を受講しているのである。結局はそういうことである。私が当然のように恐縮するのと同じぐらい当然のように「仕方ないことですよ」と言ってくれる彼女の背後には、この失敗のぼくの具体的な落ち度と共に、理屈や秩序や法律では説明できぬぼくの罪までもが漂っていたような気がする。
問答無用
移動介助アルバイトのクライエントは小型電動車椅子を操る肢体不自由者であり、バリアフリーの行き届いた範囲ならば移動に介助など必要としない。その中で、ぼくに割り振られた仕事とは、旧館A1棟という、数少ないエレベータ未導入校舎に於ける階段上げ下ろしである。クライエントのその校舎への用件は当然授業なので、シフトの時間は一週間の中で一定であり、それが今回は火曜2コマ。ぼくは偶々、その前の火曜1コマにその彼女と同じ授業を受講しているので(クライエントは同学科同回の女性である)、授業前の階段"上げ"に関しては、1コマ終了とともに彼女にそのままついていけば、自然と仕事は完了する。しかし、その上げた先の2コマ目が、私は空きコマで、階段"下ろし"の作業のためにはまた時間を見極め改めて戻ってこなければならない。そして、ご想像のとおり、今日そこに失敗したのである。2コマ終り、ぼくは時間に遅れはしなかったが、ぼくがA1棟の扉をくぐった時には彼女は既に階段の下にいた。授業が予定より早くに終わってしまっていたのだ。考えられたことではあった。彼女が無事に階段下に降りれていたのは、彼女の周りにいつも大名行列のように連なっている同学科の友人たちによる幸いであった。彼女たちは、ぼくと違って、2コマの授業を受講しているのである。結局はそういうことである。私が当然のように恐縮するのと同じぐらい当然のように「仕方ないことですよ」と言ってくれる彼女の背後には、この失敗のぼくの具体的な落ち度と共に、理屈や秩序や法律では説明できぬぼくの罪までもが漂っていたような気がする。
こんばんは。
がんばれ
地下鉄の中なんかで、"別々の制服を着た女子高生の二人連れ"なんかを見ると、妙に好感を覚えるのは、何ででしょうね?
がんばれ
地下鉄の中なんかで、"別々の制服を着た女子高生の二人連れ"なんかを見ると、妙に好感を覚えるのは、何ででしょうね?
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